第57週(第227回〜第230回)

山形での山浦講演会


第227回配信(2008.10.16)
【姦淫してはならない】その1 (マタイ5:27〜28)
◆マタイ5章27〜28節に【あなたがたも聞いているとおり、「姦淫するな」と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。】(新共同訳)とあります。◆これは実に迷惑な聖句です。この一言のために自分の青春時代はどんなに暗く辛かったことか。(笑)◆ちなみにこの聖句を他の聖書で見てみましょう。バルバロ訳は次のようになっています。<続く>(「ケセン語訳聖書を楽しむ会」より熊谷雅也が要約)※ケセン語訳聖書の情報はイー・ピックス出版 http://www.epix.co.jpへどうぞ

第228回配信(2008.10.20)
【姦淫してはならない】その2(マタイ5:27〜28)
◆マタイ5章27〜28節をバルバロ訳は【しかし、私はいう。色情をもって女を見れば、その人はもう心の中で姦通したのだ。】となっています。◆また、フランシスコ会訳では【しかし、わたしはあなたがたに言う。誰でも情欲を抱いて女を見る者は、その女に対し心の中ですでに姦通の罪をおかしたことになる。】と訳されています。<続く>(「ケセン語訳聖書を楽しむ会」より熊谷雅也が要約)※ケセン語訳聖書の情報はイー・ピックス出版 http://www.epix.co.jpへどうぞ

第229回配信(2008.10.21)
【姦淫してはならない】その3(マタイ5:27〜28)
◆「色情」とは性欲にもとづいた感情のことですが、色情があるからこそ心がときめき、恋をして、かわいい子どもが生まれてきます。それなのに、色情をもって女を見る者は、すでに心の中でその女を犯しているとは、いくらなんでもひどい話です。このことで私は何百回告解したかわかりません。日曜日の度に告解したものです。(笑)◆これは誤訳だと思うのです。<続く>(「ケセン語訳聖書を楽しむ会」より熊谷雅也が要約)※ケセン語訳聖書の情報はイー・ピックス出版 http://www.epix.co.jpへどうぞ

第230回配信(2008.10.22)
【姦淫してはならない】その4(マタイ5:27〜28)
◆「姦淫」というのは「モイケウオー」の訳ですが、この言葉の意味は本来「人の女房を盗むこと」をいいます。ですから、罪を犯すのは男であって、罪の被害を受けるのは「女房を盗まれた男」ということになります。◆ユダヤ教は徹底的な男尊女卑の宗教ですから、女は男の所有物に過ぎないという考え方でした。モーセ十戒の10番目に「隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」(出 20:17/新共同訳)とありますが、ここでは女性は家や家畜と同列に扱われています。<続く>(「ケセン語訳聖書を楽しむ会」より熊谷雅也が要約)※ケセン語訳聖書の情報はイー・ピックス出版 http://www.epix.co.jpへどうぞ
写真は2006年9月、日本キリスト教団山形六日町教会で行われた山浦さんの講演風景