第22週(第91回から第94回)

岩手県は「グー」です

第91回配信(2008.2.18)
【汝等(にっさど)】(マタイ3:7) ◆マタイ3章7節に【蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。】(新共同訳)とあります。◆ケセン語訳聖書では「だれが」の次に「あなたに」に当たる言葉を補って、「誰ァ 汝等(にっさど)さ 教えだれ?」(誰がお前等に教えたのか?)と翻訳しています。◆ケセン語で「あなた」に当たる言葉はたくさんありますが、ここでは「にし」という言葉を使い、「汝」という漢字を当てています。複数形にして「汝等(にっさど)」です。◆『ケセン語大辞典』には【「にし」はもともとは「主(ぬし)」であったらしい。現在は敬意は全くなくなり、遠慮の必要のない目下の者、打ち解けた友人同士の乱暴な会話にも用いられる。】とあります。「にしァ 弁当持って来たが?」(お前は弁当を持ってきたか?)のように使います。(「ケセン語訳聖書を楽しむ会」より熊谷雅也が要約) ※ケセン語訳聖書の情報はイー・ピックス出版 http://www.epix.co.jpへどうぞ

第92回配信(2008.2.19)
【何人(なんぼ)】その1(マタイ3:9) ◆マタイ3章9節に【言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。】(新共同訳)とあります。◆ケセン語訳聖書では【語(かだ)っておぐども、アブラハンの子孫なんと、神様ァ、その辺(あだ)りの石っこ等(など)がらでさげァ、何人(なんぼ)でも拵(こっせ)ァんに可(よ)くてやる。】(語っておくが、アブラハムの子孫など、神様は、その辺りの石っこ等からでさえも、何人でもこしらえることがおできになる。)と訳しています。<続く>(「ケセン語訳聖書を楽しむ会」より熊谷雅也が要約) ※ケセン語訳聖書の情報はイー・ピックス出版 http://www.epix.co.jpへどうぞ

第93回配信(2008.2.20)
【何人(なんぼ)】その2(マタイ3:9)
◆ここで使われている「何人(なんぼ)」という言葉は標準語の「いくら、いくつ、どれほど、どのくらい」という意味です。文脈から判断して「何人」という漢字を当てていますが、普段の会話では「何円?」「何歳?」など、金額や歳などの数量を聞くときや、「なんぼなんでも、ひどすぎる!」(いくらなんでも ひどすぎる)など、日常広く使われています。◆『ケセン語大辞典』によると、【この言葉は北海道、東北六県、近畿・中国・四国、そして九州の東半分で使われていて、日本全国の約四分の三で使われているのに、標準語では「いくら」ということになっています。これは「ナンボナンデモ」おかしいですよね。】と書いてあります。(「ケセン語訳聖書を楽しむ会」より熊谷雅也が要約) ※ケセン語訳聖書の情報はイー・ピックス出版 http://www.epix.co.jpへどうぞ

第94回配信(2008.2.21)
【既に(いっつ-に)】(マタイ3:10)
◆マタイ3章10節に【斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。】(新共同訳)とあります。◆ケセン語訳聖書では【鉞(まさがり)ァ既(いっつ)に木の根元さ置がれでだ。ろぐな実の生んねァ木ァ、全部、切っ倒されで、火さ くべらィる。】(鉞(まさがり)は既に木の根元に置かれいる。ろくな実の生らない木は、全部、切り倒されて、火に くべられる)と訳しています。◆標準語の「既(すで)に」は、ケセン語で「いっつ-に」と言います。「朝飯ァ既(いっつ)に食ってしまった。」(朝飯はもう既に食べてしまった。)などのように使います。(「ケセン語訳聖書を楽しむ会」より熊谷雅也が要約) ※ケセン語訳聖書の情報はイー・ピックス出版 http://www.epix.co.jpへどうぞ
※写真は左手の「グー」を使った岩手県地図。ケセン語訳聖書のふるさとは岩手県の沿岸南部です。

いのちの杜に歌声起こる

いのちの杜に歌声起こる