第28週(第115回から第118回)

kijinomori2009-04-03

第115回配信(2008.3.31)
【人はパンだけで生きるものではない】その6(マタイ4:3〜4)
◆「ゾー」とは、日本語で表現すると「明るく、活き活きと、喜びに満ちて生きること」だとわかると、私が子どもの時から納得できなかった疑問が払拭されます。◆つまりこの言葉の意味は「食べ物が十分にあっとしても、明るく活き活きと、喜びに満ちた生活を送れるわけではないよ」ということだったのです。◆そこで私はこの箇所を次のように訳しました。<続く>(「ケセン語訳聖書を楽しむ会」より熊谷雅也が要約)※ケセン語訳聖書の情報はイー・ピックス出版 http://www.epix.co.jpへどうぞ

第116回配信(2008.4.1)
【人はパンだけで生きるものではない】その7(マタイ4:3〜4)
◆マタイ4章4節を最新のケセン語訳では、【ヤソァ答ァで、語りやった。「聖書(かぎもの)にァこうある。『人ァ飯(まんま)せァ食ってろば幸せに生ぎるづゥもんでァねァ。それに加(くえ)ァで、神様の口がら出はる、一づ一づの言葉ァ進んで我が身に受げでごそ、活ぎ活ぎど幸せに生ぎるんだ。』」】と訳しました。これを標準語にすると次のようになります。<続く>(「ケセン語訳聖書を楽しむ会」より熊谷雅也が要約)※ケセン語訳聖書の情報はイー・ピックス出版 http://www.epix.co.jpへどうぞ

第117回配信(2008.4.2)
【人はパンだけで生きるものではない】その8(マタイ4:3〜4)
◆マタイ4章4節のケセン語訳を標準語にすると、【ヤソは答えて、お話しになった。「聖書にはこう書いてある。『人はご飯さえ食っていれば幸せに生きるというものではない。それに加えて、神様の口から出る、一つ一つの言葉を進んで我が身に受けてこそ、活き活きと幸せに生きるんだ。』」】となります。◆「ゾー」はただ単に生きると言うことではなく「活き活きと、幸せに生きる」という意味なのです。(「ケセン語訳聖書を楽しむ会」より熊谷雅也が要約)※ケセン語訳聖書の情報はイー・ピックス出版 http://www.epix.co.jpへどうぞ

第118回配信(2008.4.3)
【神殿の屋根】(マタイ4:5)
◆マタイ4章5節に【次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、】(新共同訳)とあります。◆ユダヤの神殿は箱形の建物なので「棟(むね)」はないのですが、日本の建物では一番高いところは棟です。そこで最新のケセン語訳では次のように訳しました。【次に、憑物(つぎもの)ァ ヤソァどごォ尊い都さ連れで行って、神殿(おみや)の屋根の棟さ立だせで、】(次に、憑物はヤソを尊い都に連れて行って、神殿の屋根の棟に立たせて、)と訳しました。神殿(おみや)の棟なら気仙の人でもスルリと理解できます。(「ケセン語訳聖書を楽しむ会」より熊谷雅也が要約)※ケセン語訳聖書の情報はイー・ピックス出版 http://www.epix.co.jpへどうぞ
※写真は、日本盲人キリスト教伝道協議会の取材録音風景(2009年3月15日)


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