第44週(第175回から第178回)

ケセン語訳聖書全四巻

第175回配信(2008.7.17)
【真福八端】その14(マタイ5:9)〜平和を実現する人々 <1>〜
◆マタイ5章9節に【平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。】(新共同訳)とあります。◆「平和」とは神様のお取りしきりに身を委ねて、身も心も喜びに浸ることです。原文の「エイレーネー」という意味は本来そのような意味です。<続く>(「ケセン語訳聖書を楽しむ会」より熊谷雅也が要約)※ケセン語訳聖書の情報はイー・ピックス出版 http://www.epix.co.jpへどうぞ

第176回配信(2008.7.21)
【真福八端】その14(マタイ5:9)〜平和を実現する人々 <2>〜
◆「その人たちは神の子と呼ばれる」とありますが、「神の子」とは「神様からかわいがられる人」という意味です。◆気仙ではこういうとき「めんこ」という言葉を使います。たとえば、「1年2組の沙織さんは柳本先生の“めんこ”だ。」のように使います。◆そこでケセン語訳では【お取り仕切りの喜びに誘う人ァ幸せだ。その人達ァ神様の愛児(めんこ)だって語らィる。】(お取り仕切りの喜びに誘う人は幸せだ。その人達は神様の愛児(めんこ)だと語られる)と訳しました。(「ケセン語訳聖書を楽しむ会」より熊谷雅也が要約)※ケセン語訳聖書の情報はイー・ピックス出版 http://www.epix.co.jpへどうぞ

第177回配信(2008.7.22)
【真福八端】その15(マタイ5:10)〜義のために迫害される人々 <1>〜
◆マタイ5章10節に【義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。】とあります。◆5章6節の【義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。】の箇所でも説明しましたが、ここで「義」と訳されている言葉はギリシャ語の「ディカイオスュネー」という言葉で、ヘブライ語では「ツェダカー」といいます。これは「施し」のことなのです。<続く>(「ケセン語訳聖書を楽しむ会」より熊谷雅也が要約)※ケセン語訳聖書の情報はイー・ピックス出版 http://www.epix.co.jpへどうぞ

第178回配信(2008.7.23)
【真福八端】その16(マタイ5:10)〜義のために迫害される人々 <2>〜
◆「迫害」と訳されている言葉はギリシャ語の「ディオーコー」という言葉ですが、これは文字通り「追いかけ回す」という意味です。つまり、施しをねだる貧しい人々に追いかけ回される人のことをいっているのです。◆貧しい人に追いかけ回されても、手を振り上げて追い返す人情味のない金持ちもいるでしょうが、追いかけ回される金持ちは、つい施しを恵んでしまう優しい金持ちです。ここでいっているのはそのような金持ちのことなのです。<続く>(「ケセン語訳聖書を楽しむ会」より熊谷雅也が要約)※ケセン語訳聖書の情報はイー・ピックス出版 http://www.epix.co.jpへどうぞ