第31週(第127回から第130回)

第127回配信(2008.4.21)
【「それに加えて〜」というユダヤ人の考え方】その1(マタイ4:4)〜ギリシャ語の接続詞「アッラ」と「デ」〜 ◆マタイ4章4節に【イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある。」】(新共同訳)とあります。◆この文章の、「人はパンだけで生きるものではない」と「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」の間に、ギリシャ語原典では接続詞の「アッラ」という言葉が入っています。◆この言葉はこれまで、「しかし」とか「そうではなく」と逆説的に訳されていました。新共同訳ではその言葉は入っていませんが、ニュアンスとしては依然として逆説的になっています。<続く>(「ケセン語訳聖書を楽しむ会」より熊谷雅也が要約)※ケセン語訳聖書の情報はイー・ピックス出版 http://www.epix.co.jpへどうぞ

第128回配信(2008.4.22)
【「それに加えて〜」というユダヤ人の考え方】その2(マタイ4:4)〜ギリシャ語の接続詞「アッラ」と「デ」〜 ◆前カトリック司祭で、ユダヤ教研究者の前島誠さんの本で「それに加えて〜」というユダヤ人の考え方を知り、感銘を受けました。◆それによると、通常「しかし〜」と訳されているギリシャ語の「アッラ」という接続詞は、常に「しかし〜」と訳すべきではなく、場合によっては「それに付け加えて〜」と訳すべき言葉だといいます。◆「デ」(しかし)もこれに似ています。たとえば、マタイ5章43〜44節に【「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」】(新共同訳)とあります。ここで「しかし」と訳されている言葉がそれにあたります。<続く>(「ケセン語訳聖書を楽しむ会」より熊谷雅也が要約)※ケセン語訳聖書の情報はイー・ピックス出版 http://www.epix.co.jpへどうぞ

第129回配信(2008.4.23)
【「それに加えて〜」というユダヤ人の考え方】その3(マタイ4:4)〜ギリシャ語の接続詞「アッラ」と「デ」〜 ◆ここで「しかし」と訳されている箇所は、「それに加えて」と訳すべきだと前島誠さんはいいます。◆そのように訳すと【「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。それに加えて、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」】となります。◆ユダヤ人の考え方は、「神はお一方であって、われわれの主である」という大原則を守れば、人は何を考えても自由であって、人の考えは否定しない、というものです。◆人の考えは神様のプネウマから来るのであり、いろいろな人がいろいろな事を考えるからこそ人間は進歩するのだ、という考え方です。<続く>(「ケセン語訳聖書を楽しむ会」より熊谷雅也が要約)※ケセン語訳聖書の情報はイー・ピックス出版 http://www.epix.co.jpへどうぞ

第130回配信(2008.4.24)
【「それに加えて〜」というユダヤ人の考え方】その4(マタイ4:4)〜ギリシャ語の接続詞「アッラ」と「デ」〜 ◆私は、前島さんの本を読み、「それに加えて」という考え方にたいへん感銘を受けました。◆イエスユダヤ教徒の一人として、そのような伝統の中に生きていたのです。◆後世のキリスト教の考え方はこれに比べるとむしろ偏狭といえますね。<続く>(「ケセン語訳聖書を楽しむ会」より熊谷雅也が要約)※ケセン語訳聖書の情報はイー・ピックス出版 http://www.epix.co.jpへどうぞ